「押印についてのQ&A」の要点を解説 

2020年6月19日、内閣府・法務省・経済産業省の連名で「押印についてのQ&A」が公表されました。

弁護士や民事訴訟の実務に理解のある人からすると、至極当たり前のことを書いているものなのですが、民事訴訟法(以下「民訴法」といいます)の知識や実務経験がない方には理解が難しい部分もあるかと思われるので、本稿では「押印についてのQ&A」の要点について解説をしていきます。

1.「押印についてのQ&A」の意図

上述したとおり、「押印についてのQ&A」は至極当たり前のことが書かれているだけです。新型コロナの影響で在宅勤務等の必要性が高まるなか、どんな書面でも押印をしなければならないと考え、社員を出社させているような企業に、それはちょっと違うぞと、一石を投じようとしたものと考えられます。

内容は難しいかもしれませんが、実務上重要なことが書かれていますので、日ごろ押印のある文書を取り扱うような方には、内容の理解に努められることをお勧めします。

企業から依頼を受けて仕事を行ったあと、報酬支払のために、企業から請求書の発行を求められ、PDFにしてメールで送ろうとしたら、原本の郵送が必要だと言われ、そこまでする必要があるのかという疑問を散見しますが、特段の理由なくそのようなことを求めている企業の関係者さんや、そんなこと求められるのはちょっとおかしいだろうと思う方には特に有益な内容だと思います。

2.「押印についてのQ&A」を理解するための前提知識

中身を読んでも、いまいち良く分からないという方には、民事裁判で行わる「事実認定」について理解していただく必要があります。

「事実認定」とは何かについてざっくりとご説明すると、民事裁判において、当事者が争っている事実の有無について、裁判官が証拠に基づいて判断することをいいます。本稿では以下の設例を使って、解説をしていきます。

 【設例】
AさんがBさんにお金を貸したけど返してくれないと主張して、民事訴訟を提起したのに対し、BさんはAさんからお金を借りたことはないと主張して争っている。

設例の裁判で最も重要な争点は、AさんがBさんにお金を貸した事実があったと認められるかどうかです。

「押印についてのQ&A」では、この裁判においてAさんが、消費貸借契約書などの文書を証拠として提出した場合に、その書面に押印がなかった場合や、その書面に押印がなされているにもかかわらずBさんがその文書について争った場合に裁判上どのように扱われるのかについて解説が主になされています。

3.「問1.契約書に押印をしなくても、法律違反にならないか」

「押印についてのQ&A」問1は、設問の記載が不正確だと思いますので、法律違反かどうかについては忘れてください。

上述の裁判において、Aさんが提出した消費貸借契約書に押印がなかった場合について考えてみてください。この場合、AさんがBさんにお金を貸した事実は認められないことになるのでしょうか?

この点、問1の解答では、法律上、契約は当事者の意思の合致により、成立するので、書面の作成や押印は必要な要件ではないこと、押印をしなくても契約の効力に影響はないこと(ただし、公正証書による契約書作成の例外はあります)が書かれています。書面の作成や押印がなければ契約が成立しないことにはなりません。

たまに口約束では契約が成立しないので、諦めるしかないと言う方がいらっしゃいますが、理解が誤っています。

正確には、口約束では裁判で相手方がその約束の存在を争った場合に証明が難しいことがあるということです。もちろん、書面以外の方法で合意の内容を証明できるのであれば、たとえ口約束であっても、契約の成立が認められることもあります。

設例でいえば、押印のない消費貸借契約書であったとしても、それと同内容の合意をしたことがメールのやりとりで残っていれば、AさんがBさんにお金を貸した事実が認められる可能性は高くなります。一歩踏み込むと、AさんがBさんの預金口座に消費貸借契約書記載の金額と同額の振込を行った明細等が証拠として出された場合、Aさんの主張性が認められる可能性はさらに高まります。

契約成立の要件と契約成立の事実が裁判で認められるか否かは別の話であるということが、一般には理解し難い部分かと思います。

4.「問2.押印に関する民事訴訟のルールは、どのようなものか」

大学で民事訴訟法を学んだ方は、こんなことが教科書に書いてあったなと思うはずです。

紙面の関係で、詳細な解説はできませんが、「事実認定」のための証拠として文書が提出された場合、以下の2つの問題が出てきます。

➀その文書を証拠として使えるかどうかという形式的証拠力の問題

②その文書の記載内容が、ある事実を証明するのにどれだけ役に立つか(文書の内容が信用できるか)という実質的証拠力の問題

そして、民事訴訟法228条4項により、ある人が自ら押印した文書には、特に疑わしい事情がなければ、証拠として使ってよい、すなわち形式的証拠力が認められることになります。

5.「問3.本人による押印がなければ、民訴法228条4項が適用されないため、文書が真正に成立したことを証明できないことになるのか。」

要は、押印がない文書は証拠として使うことができないのかということですね。

解答では、その文書を証拠として使うことに相手方(設例のBさん)が争わない場合には基本的に証拠として使うことができること、相手方が文書を証拠として使うことを争った場合であっても、文書の成立経緯を裏付ける資料などの証拠(上述のようなメールなど)によって、文書を証拠として使えることがあり(詳細は問6を参照)、押印がなければ絶対にダメなわけではないことが説明されています。

また、押印があれば、文書を証拠として使いやすいことにはなるものの、相手方の反証によって、証拠として使えなくなることもあり、効果が限定的であることが説明されています。

「テレワーク推進の観点からは、必ずしも本人による押印を得ることにこだわらず、不要な押印を省略したり、『重要な文書だからハンコが必要』と考える場合であっても押印以外の手段で代替したりすることが有意義であると考えられる」との記載は、重要な指摘と考えます。

6.「問4.文書の成立の真正が裁判上争われた場合において、文書に押印がありさえすれば、民訴法第228条4項が適用され、証明の負担は軽減されることになるのか」

設例のAさんがBさんの押印のある消費貸借契約書を証拠として提出したのに対し、Bさんがその消費貸借契約書を証拠として使うことを争った場合、Aさんは、Bさんの押印がBさんの意思に基づいて行われたという事実を証明する必要があります。

そして、消費貸借契約書にあるBさんのハンコの跡(印影)がBさんのハンコ(印章)によってできたものであるときには、押印はBさんの意思に基づいて行われたものであるということが推定され(一段目、いわゆる事実上の推定)、さらに上述の民訴法228条4項により文書全体がBさんの意思に基づき作成されたことが推定される(二段目、いわゆる法定証拠法則)ことになり、これを「二段の推定」といいます。このため押印のある文書については、押印のない文書と比べて証拠として使うことが認められやすいということになります。とはいえ、あくまで推定であるため、ハンコが盗まれた、勝手に使われたという反証がBさんからなされた場合は、推定が破られる可能性があること、実印ではなく認印の場合、その印影がBさんのハンコによるものであることを立証することには困難が生じ得るとされています(問5参照)。

文書が証拠として使えるとしても、当該裁判においてどれだけ役に立つかは、文書の性質や立証命題との関係によって異なり得ることに留意する必要がある、との記載は、重要な視点となります。

7. 「問5.認印や企業の角印についても、実印と同様、『二段の推定』により、文書の成立について証明の負担が軽減されるのか。」

設例において、消費貸借契約書にBさんの印鑑証明書つきの実印が押印されていれば、Bさんのハンコの跡(印影)がBさんのハンコ(印章)によってできたものという証明は容易となります。他方、Bさんの押印が印鑑証明書のない認印によってなされていた場合、Bさんが、そのようなハンコはどこにでも売っていて容易に入手可能であり、その押印はBさんの持っているハンコによってなされたものではないと主張したとすると、「二段の推定」が及ぶことが難しくなり、証拠として使えないことになります。

そのような認印による押印をすることにどれだけ意味があるのか考えることが有意義であるというのはまさにそのとおりです。

また、3Dプリンター等の技術の進歩で、印章の模倣がより容易であるとの指摘も出ているようですが、これが事実だとすると、もはやハンコそのものの信用性に関わってくる話になりますね。

8. 「問6.文書の成立の真正を証明する手段を確保するために、どのようなものが考えられるか。」

こちらについては記載されているとおりですので、特段の解説は不要でしょう。「押印についてのQ&A」が最も意図しているのは、企業においてこのような運用を積極的に活用してもらいたいという点にあり、そのことを理解してもらうための問1~5であると考えます。

石橋 京士
この記事を書いた人
一京綜合法律事務所代表弁護士 宮城大学事業構想学部事業計画学科卒業、明治大学法科大学院修了 2011年弁護士会登録(第二東京弁護士会) 主に企業に対し、事業フェーズにあわせて、組織経営、事業活動を進める中での法務、コンプライアンスを中心とした戦略的アドバイスを提供し、サポートしている。特にBtoB、BtoC問わず事業開始前の契約書等で双方間のリスクを最大限軽減させ、良好な関係構築が出来るように努めている。顧問先企業の事業成長を加速させることで、より良い世界への架け橋となるよう活動している。 著書に「民法改正対応 契約書式の実務」(共著、創耕舎、2019年)など。